kuracjpnskのブログ

転職活動を面白おかしく書いていく

神曲 転職編



 ダンテは地獄へ降り、煉獄へ戻り、最後は天国へ向かったという。今日、トイレでそれを思い出した時、私は筆を起くことを決意した。ただし、筆を置くと言っても、それは筆立ての中に置くだけであり、決して開封厳禁の封と共に押し入れの奥に仕舞う訳ではない。しかもお弁当箱の蓋を閉めるように大切そうに仕舞う筈もなく、殆ど放り投げられて筆は筆立てに納まった。


 かくして私は再び猛り狂う中年達の荒波に揉まれる決意を固め、櫂を持ってボロ船を漕ぎだしたという次第であった。夜明けと共に漕ぎ出した時、波は穏やかだった。いや、もうこのような比喩に意味はあるまい。ストレートに伝えた方が、読者の為になるのだから——つまり、転職サイトに片っ端から登録をし、大量の求人情報を得たのである。


 ところで、履歴書やら職務経歴書なるものを求められた時の私の表情を、皆さんにお伝え出来ないのは誠に残念なことである。それはきっと真理の女神を伴ったアウグスティヌスにぼろっかすにされたペトラルカのようであり、宿題を忘れた小学生のようでもあり、嫁に他の女性との会話記録を突き出された時の夫のような顔と言っておけば、十分伝わるものだろう。


 私は一つ案を講じることにした。転職エージェントを名乗る者に連絡し、あれこれ相談した挙句、その残忍な要求に応える為のテンプレートの入手に成功した。大して交流のない人物へ出す年賀状を書く時のような気分で、出来る限りのことを書き入れた。出来上がったそれと現実の自分を見比べてみると、まるで子猫とライオンのように感じられた。しかし、こういうモノは遠くから見た時により黒い方が偉いのである。それに、嘘に長じた企業は消費者をあの手この手でだまくらかし、結局はゴミにしかならない物を売りつけるではないか。そういう観点で言えば、こちらが企業に対して同じ手を使ったところで、そして自分がゴミのように使い物にならなかったとしても、誰も文句が言えないという寸法である。


 いや、こういったことを声を大にして言うのは良くない。全ての活動を公開するつもりである以上、万が一採用担当者様がこの文章を発見しないとも限らないのだから。だから、ゴミのように使い物にならないという比喩は適切ではなかった。猫の手と言った方がより正しい比喩だと思われる。


 冗談が続けば本題が逸れる。ともかく私は履歴書と職務経歴書を入手し、魔王討伐に向かって進み始めたのである。ところで、私は今の勇者になる前は、欧州で雑貨を仕入れたりする会社で業務委託を受けていた。業務委託というのもふわっとしたもので、実際は友人と二人で始めて、雇用契約書等は作らなかったということである。今思えば、若気の至りというか、青春のなせる業であった。ともかく、軍事雑貨や日用品などを仕入れてECサイトを作り、売っていた。そういう経験から謎の言語を使える能力があり、もちろん英語も喋れる。


 なので取り合えずはそういった技能を活かせる求人を探した。英語講師、バイヤー、海外営業。そういう求人で給料の良い仕事に片っ端から——いや、熟慮の末に選択を絞り、素晴らしい経営理念を持った企業にのみ応募した。


 数日して返信があった。河合塾の進路相談員の仕事に書類が通った。ついでに今話題沸騰の英語教室と、コスメ輸入のベンチャー企業も通った。今思えば、何故河合塾が通ったのか謎だった。経歴には教員の「き」の字もないし、一応四大卒ではあるが学歴も高い方ではない。


 しかし不思議なことに、書類が通るということに対して、私は並々ならぬ感動を覚えていた。他人に変装した女神アテナに父親捜索を説得されたテレマコスは神意を悟り、行動に移すことを決意した。それと同じく、私は「書類通過」を女神アテナの神意に見立て、ポセイドンにより受難を受け続けている「内定」を捜索する旅に出る決意を強くしたのだった。


 そうなれば当然河合塾への企業分析も深まるが、全く経歴が志望動機に結びつかない。あわよくば女学生とイチャイチャしたかったと考えました、と宣う訳にはいかないので、当日は意味不明なことを捲し立てる作戦で行くことにした。議論なんていうのは結局のところは声が大きい人が有利なのだから、中途面接だって笑顔と大声と極めつけの意味不明さがあれば受かるだろう…そんな幸せな思考回路を私は持っていた。


 しかし、当日私は盛大にやらかした。まずは自己紹介を、と言われた際、何を勘違いしたのか経歴紹介をお願いされたのかと思い込み、自己紹介なのに全てを長々と話してしまった。これには真理の女神もその輝く瞳を伏せたことだろう。羞恥心にいたたまれなくなって。そして面接は宇宙を突き抜け、銀河を破壊する。


 「志望動機は御社であれば私の力を最大限に発揮出来るからです!(できない)」


 『―――予備校の進路相談員とどのような会話をしたか教えて頂けますか?』


 「覚えてません!」


 『―――センター試験の変化について何かご存知ですか?』


 「受けてないんで知りません!でも教育は好きなんで絶対仕事にしたいです!」


 『―――他に教育機関へご応募されていますか?』


 「してません!」


 『―――過去の自分に進路相談員としてアドバイスするとしたら、どんな言葉を掛けてあげたいですか?』


 「やりたいことやれって言いますよ!勉強だけが人生じゃないもん!(どやぁ)」


 面接官は二人いた。片方の気の良さそうな男性の方はにこにこと受け流してくれていたが、隣に座っていた美人さんの目は死んでいた。きっとその場の三人は確実に意見が一致していただろう。つまり、「こいつは何で来たんだ?」と。


 それから翌日になって、私は反省した。発言が間違っているというか、そもそもアプローチが間違っている。こういうのは意味不明さだけではなく、一緒に仕事をして楽しいかという要素も大切なのだと気づいたのである。その日は英会話講師の面接だったので、親密な感じを出す作戦を実行し、面接は良い具合に終了し私は採用を確信していた。しかし、結果は不採用だった。今思えば、その時の私は滅茶苦茶上から目線だったのだろう。


 御社の将来性は素晴らしいとか、将来はこういった事業を展開したいとか、英語講師の応募なのに何故か経営に口出しし続けていた。しかし、如何ともし難いのである。ディオゲネスが樽の中でも知的生活をしたがったように、私は組織に入っても新たな挑戦がしたいのである。英語講師になったとしても、どんどん新たなサービスを手掛けていきたいのだ。


 そして、翌日は最後のコスメ輸入ベンチャーの面接だった。そしてこの会社は私以上に意味不明であった。まず面接で簡単に志望動機を話させてから、女社長は「うちは履歴書だけの面接はしません。これから実際の販売風景を見て頂きます」と言った。


 どうやら化粧品の輸入はもうやっていないらしく、代わりにウォーターサーバーの販売に携わるらしい。この時点で私のやる気はマントルまで堕ちていた。「これから茨城に行きます」と言われた時、私は帰ろうかなと思った。私は最近大阪に越してきたので、「茨木市」を「茨城県」と勘違いしたのだ。私ともう一人の応募者と女性社員の三人で駅に向かうが、私はひたすら新幹線代が出るのかどうかだけを心配していた。


 電車賃はもちろん出なかったが、新幹線に乗ることはなかったので払うことにした。それから現地で販売の様子を見てから、カフェに入る。そこで女社員は激変した。


 「私はベンツに乗りたいって夢があるわ。あと半年で起業して、お金持ちになるから。だって、凄くない?代表取締役ですって、言ってみたくない?」


 「私の友達は企業して月150万は稼いでる。だから私も出来る。うちの会社はちゃんと独立まで教えてくれるし、やる気がある人はすぐに上に行けるようになってる」


 「海外研修に行った時、世界が変わったの。スーツ着て現地人と交渉して…まるで夢を見ているみたいな」


 「うちに入ればすぐに成長出来るし、お金持ちになるチャンスがある。二人は合格にさせてあげたいけど、社長の見る目は凄いから…絶対受かってね」


 まるでねずみ講のセミナーに来たような感覚になった私は、隣の応募者の男性を盗み見た。彼が一体何を考えているのか私には読み取れなかったが、ともかくいい応募者だったと思う。少なくとも明らかな拒絶反応を示さず話を聞いてあげているという点で、限りなく大人であった。


 女社員は「テストがある」と言って私の手帳に企業理念を書き出し始めた。会社に戻る途中にそれを覚えて、最後に試験を受けるようだ。書かれてあることはシンプルで「時間通りきっちり働く」とか「笑顔を大切に」とかごく当たり前のことだったし、いくつかは重複していた上、8原則なのに7項しか記載されておらず、完全にがばがばであった。


 余裕の私はさっさと頭に詰め込み、会社に戻った。そして用紙に書かれている問題に取り掛かる。「現場を見て何を学びましたか?」「どうして一度断られても挑戦することが大切なのですか?」このような質問に適当な回答を記入していき、記入用紙を殆ど真っ黒にしてやった。唯一案内者である女性社員の名前を忘れてしまっていた(どうでもよかった)ので、そこだけは空欄にして謝った。


 どうやら私が一番最初の面接者だったらしく、不公平感を感じていた。あんな子供じみた暗記にはさして時間を必要とはしないが、時間があれば最後の面接に備えて色々考えられるのだから。しかし、そんな不公平感はすぐにぶっ飛んだ。私が女社長に「御社には独立支援プログラムがあるそうですが、どのような内容かを教えて頂けますか」と質問したところ、その社長は謎の用紙を取り出して入社後のキャリアプランを説明し始めたのだ。


 「最初は業務委託でスタートし、一件の契約につき八千円を支給します」


 (正社員じゃないのかよ)


 「最低保証金として16万円は支給します。勿論売り上げが上回った場合はその額が給与になります」


 (はいはいつまり月給16万ね)


 「それからリーダーになり、管理職(年収600万)になり、最後は独立も可能です。ここまで大体一年を想定しています。今では独立して月給160万を稼いでいる人もいますよ——」


 私はすかさず質問を挟んだ。


 「現在管理職の方は何名いらっしゃいますか」


 少し間を置いて女社長は言った。


 「今は…いません。東京支社になれそうな人は一人います」


 (いないのかよ)


 「やる気や成果に応じてキャリアアップ出来るシステムになっています」


 (キャリアアップしてるやついないけどな)


 そこで私は社会人らしく適当に返し、最後のアピールをした。


 「御社では化粧品輸入に携われるよう、ウォーターサーバーの営業から始めて頑張りたいと思います。コスメの市場規模は一千億円と言われますし、メンズコスメだってこれから伸びしろがあると考えています。そしてEPAが発行されれば関税も下がるため、いち早くこの事業に取り組みたいと思っています」


 そんな感じのことを言ったが、EPAだの市場規模だのを言葉にした時の、女社長の「なにそれ?」という顔が今でも忘れられない。それから夜に電話で合否通知をするということで、私は家に戻った。正直言って受かったとしても絶対に行きたくないと考えており、いかにして断るかの方法を探していた。


 指定時間に電話を掛けた。


 「…本日面接して頂いた者ですが」


 『合否通知?おめでとう、合格です。じゃあ、よろしくおねがいしま~す』


 「あの、では雇用条件通知書等を送付するかメールして頂けますか。それをもとに最終判断をしたいので」


 ここで口調が変わった。


 『あぁ、じゃあ一旦保留にします。他の結果待ちなら保留ね。それからどうしてもウチで働きたいってなったら、もう一度選考します』


 なる訳ないだろと思いつつも、社会人なのでそんなことはもちろん口にはしない。


 「保留でも構いません。まずは条件等を書面で確認したいので、送っていただけますか」


  『条件なら面接で言いましたよね?内定も採用通知書もないよ、だって業務委託だもん』


 「でも…業務委託でも労働条件の確認書類は必要ですよね。書面で確認できるものは何もないということですか?」


 『そうですね、何もありませんよ』


 「では…申し訳ございませんが今回は辞退させて頂きます」


 「はいわかりました~ありがとうございました~」


 こんな感じで無事断ることが出来たが、とても後味の悪い選考となった。恐らく一連の選考は全て社長によって仕組まれており、女社員が「選考は受かり辛い」なんて言ったのもフラグだろう。実際は全合格で、テストやら何やらで頭をそちらへ集中させて、判断力が鈍った所で奴隷契約を結ばせようとしているのだ。


 女社員の死んだ目と無駄に張り切っている言動は見るに堪えなかったし、ウォーターサーバーの営業なんて全くやりたくないのだから、断って当然である。



 こうして私は勇者となって初めての戦闘を終え、寝床にてこの文章を記しているのである。これから私がいかにして地獄の魑魅魍魎を相手に剣を交えていくのかを記し続けたいと思う。そして、煉獄を通り天国に昇る様を、ダンテのように記していくことには、多大なる意味があるのである。つまり、他人の不幸は蜜の味だが、他人の成功はほろ苦い。そして失敗は成功の母親であるが、同時に悲しみの父親でもある。この論理に基づけば、読者の皆さんも私の失敗により良い気分になれるし、また私はそれを糧に成長することが出来るのだ。そして私が成功した時…つまり採用通知を頂いた時、皆さんはもどかしい想いをするだろうが、私にはそれが蜜の味となる訳である。


 と、ここまで色々と記しはしたが、聡明な読者の皆さんはこう言うかも知れない。まだ河合塾の選考結果がどうなったのか聞いていない、と。


 そこで私がこう答えるのである。賢明なる読者諸君、どうか私の傷に塩を塗る真似はしないでくれ、と。